破壊的な人性、栄える人生(詩篇37:1-6)

●普通の人たちの反応(1,2) 悪者の成功に対する普通の人たちの反応は、不平不満である。なんで自分はうまくいかないのにあの野郎はうまくいくだろうか。もう一つはなんとなく彼のような成功を羨むのである。人は嫌がりながら、彼の成功は羨むという微妙な心になる。 結局、嫉妬と妬みで苦しむ。自分の人生に悲しみ、人の人生を羨む。ここですでに不幸せを感じて生きる。 私たちの人生でこのような嫉妬と羨みは、不平不満をもたらし、結局は自分の人生を破壊してしまう。実はこの人はいつでも自分が悪口した彼と同じ悪さをしてしまう可能性が高い。 悪さをする、それによって成功した彼をなんとなく喜び、それを妬むことは、考え方に問題がある。こういう悪さはさばきをもたらし、しばらくして枯れることであることからうわやむより、そうでない自分にホッとして感謝して生きるべきである。あなたがうらやむのは自分もそういう悪いことをしたいからではないか。そういう心、価値観を持っているあなたが問題である。 1.悪者に不平不満せず神に信頼して善を行う(3)

代わりに3節にあるように、あなたは悪さより善、つまり神様が喜ぶことをしなさいとなっている。悪者の成功、正しくない成功、神様の方法ではない成功をうらやむことではなく、あなたは黙々と神の喜ばれることをすることである。神様が与える安らぎや幸せを得るだろう。そして神様による成功の喜びを受けるだろう。しばらくある物に心にさや今の大事な時間を奪われないで、あなたの大事な神を重んじることである。こういう悪者のことで自分の人生をだめにしてはならない。

2.物や成功を喜びとせず神を喜ぶ(4) 神を喜びとしなさい。成功や物質を喜び、欲しがるのではなく、純粋に神様その方を喜ぶことである。物質や成功は、揺らぐものであり、長続きしない。あなたが神様を喜ぶと、あなたが成功、あなたの願いを神様が代わりに叶えてくださる。自分が作り上げた成功ではなく、神様が完璧にあなたの願いを叶えてくださる。だからあなたが悪さをして成功のために努力してはならない。悪者を不平不満したり、妬んだりすることもいらない。

  • 将来を心配するより神に将来を委ねる(5) 5節に、あなたの道、つまり将来を神に任せることである。将来に対して多くの人は、心配する。ずっと心配する。心配があなたの将来を解決しません。神様に委ねること。つまり、現在を不平不満しなく、神様が喜ばれることし、何よりも神様自身を喜ぶ人生を送り、将来を主に委ねること。

心配の意味:心を分散させ集中できないようにする。

Ⅰペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです

例話)雑草と心配

心配は人生の雑草のようなものである。雑草がないことはない。しかし雑草が育てる木より大きくなってその木が雑草によって新亜でしまうようなことがあってはならない。

祝福された人生と破壊的な人生は結局自分の選択である。行動で解決していくことである。

その具体的な方法を考えてみよう。

  • とにかく心配の代わりにゆだねる、心配の代わりに祈る。心配するたびに祈れば大きな力がつくだろう。心配が来たときは祈りなさいというサインで受け取り、祈る習慣を身につけましょう。

ピリピ4:6何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

とにかく心配の代わりにゆだねる、心配の代わりに祈る。心配するたびに祈れば大きな力がつくだろう。心配が来たときは祈りなさいというサインで受け取り、祈る習慣を身につけましょう。

2)心配によって何かを決めるのではなく信仰によって何かを考えていくことである。将来の心配のことで、今の人生、特に神様の喜ぶことをしなかったり、神より物や成功を喜びとし、追いかけるならば、逆に将来は保障されない。老後だけでなく死後のことも保障されない。不安はあるかもしれないが、心配で今すべきことをすることができないのであればそれはよくない。

〇〇が心配だから、〇〇をしたらだめ。これをしなければならない。それだけではなく不信仰的なこともまでもしなければならないということであれば、これは心配によって信仰や人生が壊されたことである。しかしほとんどの場合、心配は外れとなる場合が多い。

3)もう一つ心配をなくすた方法は、前もって私が自分の理想を高くしこうならないという設定をしてしまうのはよくない。神様の御心であるならば、何でも受け入れ、それを喜びとするという余裕があれば最初から心配はあまり大きくならない。したがって多くの心配は自分なりのよくない、信仰的ではない、高すぎる目標や理想、希望を掲げてものことを考えるからである。主の御心であるならば、どれでも感謝で受け入れることである。

教会では、信仰を共にする人たちが支え合い、心配や悩みを分かち合い、祈り合えることを願っています。一人ぼっちになるともっと失敗は大きくなる。教会に着てみことばを聞き、交わりをし、それをもって祈り合えることは素晴らしい恵みである。

最後に以下の中で自分が選択して適用したいことをチェックしてみましょう。

□私は心配の時には祈りのサインとして受け止め祈る習慣をつけたいです。