
⑴イエス・キリストを受け入れることとその意味
この学びで一番大事で決定的なこととは、キリストを救い主として「受け入れる」という決断です。今までの学びも、これに尽きるのではないかと思います。前述のヨハネの福音書1:12にあるように、キリストを受け入れる時に、「神の子ども」となる、つまり救いを得るようになるろ、約束されています。この救いへのプロセスとして、まず心で信じることが必要ですが(ローマ10:10)、しかしそれを口で告白し、キリストを受け入れることで、自分の信仰を示す必要があります。それが受け入れる祈りです。それでは、受け入れる祈りの内容やその意味について簡単に話します。
[ローマ人への手紙 10:10] 人は心に信じて義と認められ、口で告白(受け入れる祈り)して救われるのです。
⑵罪のない(認めない)人には、受け入れる意味がない
[使徒の働き 3:19] ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。
人間は罪によって、さばきと永遠の罰を受けることが決まっています。罪と救いの永遠のいのちは、共存することができません。今まで何とも思わなかった罪からの新たな認識や悔い改めもなく、永遠のいのちや救いを受ける方法はありません。キリストは、この世に罪のない人を招くためではなく、罪人を招いて救うために来られたからです。人の前でする必要はありませんが、自分の罪を認識し、悔い改める必要があります。この悔い改めのためには、自分の今までの人生のなかで、犯した罪を思い出せる範囲で告白し、罪を赦しを受けるのも良いでしょう。一方、キリストは、私たちの罪が赦され救われるようにと、自ら私たちの罪を背負って十字架の上で、私たちのために死んでくださいました。私たちの罪は、このキリストの十字架の死の償(つぐな)いによって、ぬぐい去られるようになります。
⑶イエス・キリストの十字架の身代わりの死に感謝する
[ローマ人への手紙 5:8] しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちの(罪の)ために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
前述したローマ書5:8にもありましたように、罪のないキリストが私たちの罪による刑罰を背負い、十字架で私たちの身代わりとなって死んでくれました。それによって、私たちは、ただで自分の罪から赦され、さばきにあわないで、天国の救いと永遠のいのちを受けるようになりました。それを知っている人ならば、自分の罪のために犠牲となったキリストの尊い愛に感謝するようになるはずです。
⑷自分の心の戸を叩くイエス様の招きへの応え(キリストを救い主として心の中に受け入れる)
[ヨハネの黙示録 3:20] 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
この方は、あなたの救いのために必要なすべての条件を満たすために、ご自分の命さえも十字架の上で捨て、私たちに罪の赦しと救いのプレゼントを用意してくれました。その驚くべき救いの世界にあなたを招こうと、あなたの心の外にまできて、叩いています。この尊いプレゼントを、あなたはただで受け取ることができます。多分、私たちが何の反応も示さずに、この世を去ってしまうならば、それは悔しくて悲しいBAD NEWSになるに違いありません。
このイエス様の声を感じる方は、この招きに答えることができます。この方を心の中に受け入れるかは、あなた自身がすることであり、その結果もあなたのものです。もしこのキリストを心に救い主として受け入れたい方は、以下( ⑸のところ)の「イエス様を救い主として受け入れる祈り」を一緒にすようにしましょう。
⑸イエス・キリストを受け入れた者への祝福
霊的に孤立していた人間が、自分の罪を告白し、イエス様を救い主として受け要らた者には、以下のような新しくて豊かな祝福が待っています。次の聖句のなかで、赤を中心にその祝福を読んでみましょう。
[ヨハネの福音書 5:24] まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
[ヨハネの福音書 1:12] しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
「イエス様を救い主として受け入れる祈り」
(以下の赤の祈りを一番敬虔な姿勢で読みながら祈りましょう)
「神様、私は自分が罪人であることを心から認め、告白します。私は自分の罪とその厳しい結果からの赦しが必要であることが分かりました。しかし、イエス様が私の罪の赦しのために身代わりとなって十字架にかかり、私の罪のために死んでくださったこと、またその死からよみがえることによって私を確実に神様の子どもとしてくださったことを感謝します。今、イエス様を自分の救い主として心にお迎えします。これから自分の人生の主となり私をお導きください。イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン」
⑹受け入れた人が知って確信すべきこととは
あなたが、心からイエス様を受け入れたならば、今イエス様は、どこにおられることでしょう。あなたのそば、あるいはこの世の万物、それともあなたの心の中、どこにおられるでしょう。上の聖句、ヨハネ黙示録3:20には、”(心)戸をあけるなら、わたし(イエス様)は、彼のところにはいって”と書かれております。その話は、イエス様はあなたと一番近い心の中に入ってくださったということです。今からは、神の子どもとして、近くの教会の礼拝に行ったり、聖書を読んだり、祈ったりしていきましょう。もっと素晴らしい信仰者として成長することを祈ります。
※この祈りをされた方は、以下のところから教会へ連絡してくれますと、教会から、聖書学びや祈りなどへのサポートをします。